いいふうふの日

11月22日(いいふうふの日)にちなんだSSを書いたので、続きから収納しておきます。
「蒼穹、その果て」から主人公夫婦。本編の箸休めにおたのしみください…笑 シリアスじゃないです。



『ついしん、さいきんは、にくしょくけーじょし、というものが流行っているそうだぞ』
 
 都の「友人」からそんな文がもたらされたのは、桜が雪瀬のもとに嫁いでふた月ほどが経った頃だった。なんでも、近頃の女子の最先端は「にくしょくけー」らしい。こと恋愛ごとに関して受身でいるのではなく、意中の男子を自ら狩り、捕え、食べることこそが「にくしょくけーじょし」の極意であるようだ。
「みずからたべる……」
 文を持ったまま、桜はしばらくむつかしい顔で思案する。「にくしょくけーじょし」から我が身を振り返ると、確かに恋愛ごとに関して常に受身であった、と反省せざるを得ない。といっても、桜の旦那さまは自ら狩り、捕え、食べる人間ではないので、桜が自ら狩られ、自ら調理し、皿に盛りつけたうえで、さあどうぞ食べどきですよ、食べてください、とおすすめするのが常である。
 しかし。しかしである。
「食べるのがわたしなら……!」
 なでなでしてくれないかなあと旦那さまのほうをそーっとのぞきこんでみたり、ぎゅっとしてほしいなあと旦那さまの羽織を引っ張ってみたり、もっとくっつきたいなあと手に頬を擦り寄せてみたり、する必要がなくなるではないか。なんという発想の転換だろう。そーっとのぞきこんだのに、額をていっとされて終わるとか、頬を擦り寄せた手に頭を撫でられるだけで終わるとか、欲求不満に苛まれて畳をどんどんしないで済む。
『にくしょくけーじょしをめざします』
 蝶あての返事を書き終えると、桜はふうと袖まくりをした。

 桜の旦那さまは非常に多忙なひとである。
 決意はしたものの、肝心の相手が数日帰ってこないので、欲求不満ばかりが募ってしまった。新妻なのに困ったものである。
「桜さま。雪瀬さまがおかえりになりましたよー」
「ほんとう!?」
 だから、竹にそう声をかけられたときは、力みすぎて若干あとずさられるくらいだった。化粧鏡のまえでちょっとだけ簪の位置を直し、頬にかかった髪を耳にかけて、くるりと一回転する。だいじょうぶ、帯もおかしくない。桜は小走りで外へ出て、ちょうど厩に馬を預けていた旦那さまに駆け寄った。
「おかえりなさい!」
「……うん? ただいま」
 勢い込んで前のめりになった桜をすこし不思議そうに見やって、雪瀬は馬の手綱を竹に渡した。数日ぶりの雪瀬である。桜の旦那さまである。世界がふわふわと陽の金色に包まれたかんじがして見惚れていると、雪瀬の手が乱れた前髪に触れた。
「そんな急いで、なんかあった?」
「う、ううん」
 髪に触れられているのが心地よく、思わずほのぼのと和んでしまってから、ちがうのだった、にくしょくけーじょし、をめざしているのだった、と思い出す。「そう?」と雪瀬はあっさり手を引いてしまったので、その背を追って母屋へ戻る。
 家令の蕪木といくつか言葉を交わしたあと、雪瀬は書きものを始めた。旦那さまがお仕事をしているときは近づかない、のが「りょーさい」の心得である(柚葉が教えてくれた)。襖の外で悶々と、にくしょくけーじょしとりょーさいの間で揺れてから、そーっと中をのぞく。書き物机から離れた背中が濡れ縁のほうで、明かりをひとつ灯して書物を読んでいるのが見えた。これなら、もうだいじょうぶだ。ほっと息をつき、桜は声をかけて襖を引く。悶々としている間にちょっとぬるまってしまったお茶をそばに置いて、書物のあいだに落ちていた羽織を払って雪瀬の肩にかける。湯上りのそのひとからは水とほのかに澄んだ薬草のかおりがした。
「はい、桜さん。どうぞ」
 肩にかかった羽織を引き寄せると、雪瀬は書き物机のほうから何やら引っ張り出した。紙に包まれたそれは、
「鶴亀屋さんの、かしわもち……!」
 桜は目を輝かせた。柏の葉にまかれた白いおもちは、いかにもふくふくとうつくしいたたずまいで、あんこはきっととろけるようにおいしいにちがいない。雪瀬は屋敷をあけたときは必ずおみやげを買ってきてくれる。その大半は、桜の好物の甘味であった。もっと色気のあるものを贈ればよろしいのに、と周囲は苦笑するけれど、櫛や簪といった小間物や着物でもなく、雪瀬が買って帰るのは必ず食べられるものだった。身につけられるものを雪瀬がくれたのは一度だけ。たった一度きりのそれは、今も桜の髪に挿されている。
 夕餉をいただいたあとだけど、ひとつだけならだいじょうぶかな、と思って柏餅を手に載せる。
「……半分、いる?」
「ううん。ぜんぶ食べれば」
 雪瀬は特段甘味を好まないので、おみやげはだいたい桜の胃袋におさまることになる。思ったとおりのとろけるようなあんこのお味に、ほう、と相好を崩していると、相手は目を細めてそれを見ていた。桜がしあわせそうにものを食べていると。雪瀬は機嫌がよくなる。よく眠って、よくものを食べている姿を見るのが好きだそうだ。
「ついてる、あんこ」
 口端に触れた指先がそっと甘いものをすくって、唇に押しやる。澄んだ香りのする指先だった。瞬きをしたあと、桜はお腹の底から湧いてきた欲求に畳をどんどんしたくなった。にくしょくけーじょし、したい。今、とってもしたい。ぴしっと正座をして相手に向き直ると、桜は雪瀬の手を取った。
「やさしく……、やさしくするから」
「へ?」
 いかなるときも、相手を思いやる心は大事である(柚葉が教えてくれた)。雪瀬の横の障子戸に軽く手をつくと、桜は膝立ちをして相手に唇を触れさせた。……と思ったらぶつかった。勢いがありすぎたらしい。眉根を寄せてもう一度、今度はそっと口付ける。膝立ちの姿勢は不安定で、ふわふわと羽のふれるような口付けを繰り返していると、背中に腕が回された。よろけた身体をふわ、と抱きとめられる。
「…………ありがとうございます……?」
 げせぬ、という顔で首を捻りながら、雪瀬は桜の額に手をあてた。んんん、と呟いて、今度は額と額を直につける。
「……熱ある?」
「ないよ」
「もしかしてお酒のんだ?」
「のんでない」
「へんなもの…、」
「食べてない」
 このあたりで相手の質問の意図を察して、桜は機嫌を悪くした。
「どうして私からくっついたらだめなの?」
「……くっつき…たいの?」
「ちがう。わたしがくっつくの」
 膝をぺしぺし叩いて言い張ると、それはちがうのかなあ、と雪瀬は判然としない顔つきをした。
「にくしょくけーじょしをめざしているの」
「にくしょ、けー……?」
「肉食系」
「けー、じょし」
「肉食系女子」
「……つまり、またお姫さまに変なことを習ったのか」
 勝手に得心がいった様子で、雪瀬はうなずいた。淡い微笑が落ちる。
「それで、にくしょけーじょうし?をめざしている桜さんはどうしたいの?」
「さっきの続きがしたい」
 しごく真面目にこたえると、へえ、そう、ふうん、と含みのある相槌がかえった。若干考えるようにしてから、じゃあ続きする?、と頬に手が触れた。肩にかかった髪をそっと耳にかけられる。自分を眺める琥珀がかった眸を見下ろすと、息が詰まってしまって桜は目を伏せた。この、桜にとっては圧倒的に大きな存在を捕えることはとてもむずかしく感じる。とても、できないことのように思える。祈るような気持ちでそっと唇に触れると、頭を引き寄せられた。思わぬ力に驚いた身体を繋ぎ止められ、口付けを繰り返される。なだめて、あやして、きもちがよくなってくると、深まって、だんだんいろんなことが考えられなくなってくる。とらえたつもりが、とらえられてしまう。いつもそうだ。この腕にとらえられているとき、桜はとてもとても安堵する。逃げ場がない。どこにもゆく場所がない。どこにも。……どこにも。この腕の中以外、どこにも。
 それはつくられた、絶対の幸福の檻だった。きっとふつうのひとにはよくわからない。ふつうのひとである雪瀬にも必要がないものかもしれない。桜はでも、いきていけない。ときどき檻の中にしまわれないと、いきていけない。それをわかっていて、雪瀬は閉じ込めてくれるから、だからもしかしたら、やっぱりこのひとを捕えて食べているのはわたしのほうなのかもしれない、と桜は思うことがある。
「…………きよせ?」
 褥に下ろされて何度か口付けを繰り返したあと、ぴた、と男の動きが止まった。自分に覆いかぶさったまま動かなくなった旦那さまをのぞきこむと、すやすやと繰り返されるあまりに平穏な寝息。
「寝た……」
 試しに肩のあたりに触れてみるが、うんともすんともいわない。かんぺきに、熟睡なさっている。しばし茫然と固まったあと、ふつふつとこみあげてくるものがあって、桜は苦笑気味に愁眉をひらいた。安心しきった様子で隣でねむるひとのかおを。見られるようになったのは最近のことだ。ほんとうはこのまま、にくしょくけーじょし、したい。でも、だけど、やっぱり。
「……おやすみなさい」
 あまやかに息をつくと、桜は旦那さまのこめかみにふわりと口付けを贈った。
 ――どうかよい夢を。
 

++「蒼穹、その果て」より 11.22の日に寄せて

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